横須賀は、戦前は横須賀造船所や日本海軍横須賀海軍工廠(こうしょう)、戦後からはアメリカ海軍の基地が置かれた、古くからの軍港の街である。横須賀本港の周辺には現在も、アメリカ海軍横須賀基地と、海上自衛隊の地方隊が置かれ、海軍時代の名残も各所に残っている。
現在の駅舎は1914年(大正3年)築の二代目駅舎がモデル
左側には天皇や皇族の「お召列車」用のホームの跡が
軍の協力によって開通した軍用鉄道
横須賀本港へは、JR横須賀線を利用して横須賀駅へ。横須賀線の開通は1889年(明治22年)で、横須賀造船所や後の日本海軍横須賀鎮守府(ちんじゅふ)や横須賀海軍工廠への、人員や物資の輸送を担った、軍用の鉄道がルーツだ。
横須賀駅は物資の積み下ろしがしやすいよう、駅舎に階段がないのが特徴。駅前広場に隣接して、横須賀本港を見渡せる、ヴェルニー公園が広がっている。
園内には軍艦の大砲や砲弾ほか記念碑が多数立つ
軍港の入口にあった旧横須賀軍港逸見波止場衛門
駆逐艦や航空母艦がすぐ間近に迫る
対岸はアメリカ海軍横須賀基地で、現在の主力艦であるアーレイ・バーク級駆逐艦(くちくかん)を整備する4・5号ドックとクレーン、巡洋艦や駆逐艦が係留されるハーバー・マスター・ピアが正面に臨め、なかなかの迫力だ。
4・5号ドックの奥に航空母艦用の6号ドックがある
東と西に分かれた桟橋のハーバー・マスター・ピア
アメリカ海軍横須賀基地は、在日米海軍司令部が置かれた、主にアジアへの対応と太平洋オセアニア地区の前方展開の拠点。旗艦の揚陸指揮艦「ブルー・リッジ」をはじめとする、アメリカ第七艦隊の主力艦の母港で、アメリカ国外で唯一の、航空母艦の母港でもある。
所属艦艇の整備や修繕が主な役割で、航空母艦や駆逐艦など大型艦用が中心の6基のドライドックをはじめ、施設が充実している。
基地関係者用の町も整備され2万人が居住している
アメリカ海軍基地に日本海軍のドック
アメリカ海軍横須賀基地があった場所は、もとは明治初期に開業した横須賀造船所。1903年(明治36年)以降は横須賀鎮守府とともに横須賀海軍工廠が置かれた、日本海軍の要衝だった。
そのためアメリカ海軍横須賀基地では、6基のドライドックをはじめ、横須賀造船所や横須賀海軍工廠時代の施設が、今も現役で使われている。
アメリカ海軍横須賀基地の港湾施設の全景
1871年(明治4年)築の1号ドックは、日本で最古の現存するドライドックで、1〜3号ドックは明治10年までに建設された、日本最古の石造のドライドック群。
右から順に1〜3号のドックが並ぶ
4・5号ドックは軍艦の大型化に対応して大正期に建設され、現在は駆逐艦の整備に使用されている。
1940年(昭和15年)に建設された6号ドックは、当時世界最大の「大和」級の戦艦が建造可能な規模で、同型の「信濃」(しなの)を造船したドック。長さ366m、幅67.5m、深さ17mあり、アメリカ海軍の航空母艦も入渠できるサイズだ。
また、基地のメインゲートの先にある在日米海軍司令部には、もと日本海軍横須賀鎮守府の庁舎が使われている。
国道16号に面したメインゲート
メインゲートから続くドブ板通りはアメリカ兵で賑わった繁華街
太平洋側を警備する日本の守護の要
横須賀新港のヴェルニー公園側の湾岸には、海上自衛隊横須賀地方隊の、吉倉地区が広がる。横須賀地方隊の前身は、日本海軍横須賀鎮守府で、横須賀海軍工廠をはじめとする旧日本海軍の敷地の一部に、施設が配置されている。
海上自衛隊横須賀地方隊吉倉地区の逸見岸壁
海上自衛隊の地方隊は全国に6つ組織され、横須賀地方隊はその中で、最大規模の隊。第一護衛隊群の司令部が置かれ、岩手県から三重県までの太平洋岸を警備領域とする、防衛の要衝だ。
横須賀地方総監部。船越地区には自衛艦隊総司令部の海上作戦センターもある
吉倉地区には、隊を指揮管理する横須賀地方総監部と、大型の艦艇を係留する逸見(へみ)岸壁が。横須賀地方隊には第一護衛隊群の護衛艦をはじめ、30隻ほどの艦艇が配備され、全通甲板が特徴の護衛艦「いずも」が、停泊していることも。
護衛艦「いずも」は軽空母への改装が進行中
南極観測船「しらせ」も海上自衛隊横須賀地方隊所属の船舶
アメリカ海軍横須賀基地内にある、共同使用の楠ヶ浦(くすがうら)地区には、潜水艦隊の横須賀潜水艦基地隊が配備。ヴェルニー公園からも、クジラのような黒光りする船体が眺められる。
楠ヶ浦地区には横須賀地方隊の横須賀造修補給所も設置
日米両国の基地のルーツになった造船所
園内には軍港の起源に関連する史跡もあり、開業当時の横須賀造船所の副所長のジュール・セザール・クロード・ティボディエの官舎のそばには、小栗忠順(おぐりただまさ)とフランソワ・レオンス・ヴェルニーの像が立つ。
ヴェルニー像。周囲にはフランス式庭園が広がる
ティボディエ邸には横須賀造船所や海軍の資料を展示
小栗忠順は1860年(安政7年)年、日米修好通商条約を締結するために渡米した、幕府の使節団の一人。アメリカの造船所を視察し、開国後に欧米諸国に対する国防のため、軍艦を建造する造船所の必要性を江戸幕府に直訴。
造船所の建設に際してはフランスに協力を要請し、海軍技師のヴェルニーの指揮のもと、1871年(明治4年)の1号ドックの完成とともに、横須賀造船所が開業した。
ティボディエ邸に所蔵されている横須賀造船所の絵図
建設中は「横須賀製鉄所」で開業とともに造船所に改称
1〜3号ドックは、横須賀造船所の時代に建設されたもので、その後の日本海軍とアメリカ海軍の基地の礎にもなっている、軍港の歴史の貴重な記録だ。
2号ドックには日露戦争で活躍した戦艦「三笠」も入渠した
「三笠」は三笠公園に保存され司令長官の東郷平八郎像も立つ
今は港湾を眺められる静かな臨海公園の、ヴェルニー公園。その風景や園内の数々のレガシーから、横須賀の軍港としての歩みや隆盛が、感じられるはずだ。
おさんぽ案内人
カミムラカズマ
散策の案内人・ライター・編集者。日本国内の街歩きと、食を訪ねる旅をテーマにした情報発信を展開。カルチャースクールでのおさんぽ講座ほか、社会福祉法人で介護レクリエーション「旅ばなし」も開催。
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