身体改造カルチャーの最先端を追い続けて20年以上、今回は、愛知県田原市にある吉胡(よしご)貝塚をご紹介する。
タトゥーやピアスを含む、身体改造のジャーナリストとして世界の最先端の現場をレポートしてきたが、拙著『縄文時代にタトゥーはあったのか』(国書刊行会)で書いている通り、日本にも縄文時代から身体を改造する行為が行われており、遺物や遺跡の取材も続けている。
今回訪れた吉胡貝塚は、300体以上という日本一の縄文人骨出土数で知られるばかりか、歯をフォーク状に削った叉状研歯(さじょうけんし)の人骨が8体も発見されており、日本の考古学上でも重要な遺跡となっている。ちなみに縄文時代の抜歯の風習は日本全国で広く見られるが、叉状研歯は大変珍しく、大阪府国府遺跡や渥美半島にあるいくつかの遺跡で特徴的に見られるものだ。
そんな縄文時代の旅を愛知県の吉胡貝塚からお届けする。
日本一の縄文人骨出土数で有名になった遺跡
明治時代、東京で大森貝塚が発見されたことから考古学が始まると、縄文遺跡の発掘調査は地方にも飛び火した。大正11・12年(1922・23年)、清野謙次らの学者が吉胡貝塚を訪れ、のべ30日間で300体を超える人骨を発掘するという大きな成果を上げた。
現代から見れば手荒な発掘だったが、考古学の黎明期にたくさんの縄文人骨を発見したことで、吉胡貝塚は日本全国に広く知られるようになった。
昭和25年に文化財保護法が制定されると、翌年、国営発掘第1号に選ばれたのは、吉胡貝塚であった。その大規模発掘調査は、さらなる縄文人骨や大量の遺物の発見をもたらし、再びマスコミを騒がせた。
歯をフォーク状に削った叉状研歯の謎に迫る!
叉状研歯は、1939年、鈴木尚によってそう命名され、渥美半島の縄文遺跡を特徴づけるものとなった。
渥美半島を含む三河湾沿岸の遺跡では、赤ん坊の人骨とともに犬が埋葬されていたり、人骨を四角形に並べる盤状集骨墓があったり、女性が腕にはめる貝輪も多く発見され、交易品として取引されていたこともわかっている。
抜歯研究で知られる春成秀爾によれば、抜歯は成人、結婚などの通過儀礼において広く行われたと考えられるが、叉状研歯は老若男女区別なく見られることからある特別な家系の証であろうという。(国立歴史民俗博物館研究報告第21集、2000年)
吉胡貝塚資料館は、野外に発掘現場を再現している。日本は酸性土壌のために人骨が残りにくいが、吉胡貝塚は貝層のカルシウム成分により土壌がアルカリ性になるため、人骨が多く残された。
また、資料館内のメイン展示スペースには、腕に貝輪をつけた熟年女性の屈葬人骨(レプリカ)が床中央の覗き窓から埋葬の様子が見えるように再現されていた。
縄文時代というと、土器や土偶ばかりがもてはやされがちだが、吉胡貝塚は縄文時代後晩期のため、縄文時代中期のような派手な文様の土器はない。その代わり、多数の縄文人骨が発見されたことから、抜歯や叉状研歯のような縄文時代の身体改造や盤状集骨墓のような珍しい埋葬の方法をみることができるのだった。
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吉胡貝塚資料館・吉胡貝塚史跡公園