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身体改造カルチャーを追って、20年以上。今回は、身体改造カルチャーの世界的な流行のきっかけとなった「モダン・プリミティブズ」を紹介する。
モダン・プリミティブズとは、直訳すれば「現代の原始人」、太古から存在し世界各地の民族文化に残る身体を改造する行為は人類共通のカルチャーであり、ハイテクノロジーなコンピュータ時代にこそ、そのような行為を現代的に蘇らせることが求められるとされた。
モダン・プリミティブズの提唱者であるファキール・ムサファーは、アメリカ先住民のサンダンスの儀式を現代医学の知識をもとに復活し、身体にフックを刺して吊り下がり、ボディサスペンションの先駆となった。
ファキールのボディサスペンションは、モダン・プリミティブズの実践を象徴するものとして、1989年に出版された書籍『モダン・プリミティブズ』の最初のページを飾っている。それは痛みの伴う身体プレイだが西洋文化に「野蛮なもの」とされ、失われつつあった民族儀式が冷戦終結後のグローバル時代に未来のカルチャーとして再発見されたのだ。
現代に蘇った民族起源を持つボディピアッシング
モダン・プリミティブズの実践として、もうひとつ衝撃は「ボディピアッシング」だった。
耳のピアス穴の拡張、顔面や全身の部位に及ぶピアッシングも民族起源があるとされ、現代医学の知識をもとに復活し、新しいファッションになった。
ボディピアッシングはもともと、1970年代、大富豪のピアス愛好者ダグ・マロイが当時珍しかったピアス実践者たちを引き合わせ、1975年にロサンゼルスに世界最初のボディピアス専門店をオープンしたことから始まった。その後、アンダーグラウンドなシーンで徐々に広まり、1994年、その店でマドンナがおへそにピアスをしたことから世界的流行につながった。
近年も、セレブや有名人、ラッパーらがタトゥーやピアスをすることで流行を後押ししているが、90年代にもまさにそのような現象が起こっていた。
身体改造の隆盛を強く印象付けた黒一色の文様タトゥー
さらにもうひとつ、ボルネオや太平洋諸島に起源を持つ
黒一色の文様で身体をデザインする「トライバル・タトゥー」が、身体改造の時代の到来を強く印象付けた。
ゼロ年代になると、民族起源を持つタトゥー文化のリバイバル運動が進んだ。
たとえば、太平洋諸島のニュージーランド、マオリ族のタトゥー文化は、伝統的なダンス「ハカ」とも結びつき、ラグビーの「オールブラックス」などを通じて、日本でもよく知られている。
興味深い実例としては、フィリピンでは失われつつあったカリンガ族のタトゥー文化が、ロサンゼルスに移住したフィリピン系アメリカ人コミュニティの間で復活している。これはロスのフィリピン系アメリカ人のタトゥーアーティスト、エル・マナ・フェスティンと彼の仲間たちが推進するもので、フィリピンでカリンガ族の老人たちを調査していたタトゥー人類学者ラース・クルタクが支援したことで、フィリピンの失われつつあったタトゥー文化がロスに移った若い世代の間で蘇るという貴重なケースとして注目された。
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2014年、パリのケ・ブランリ美術館で巨大タトゥー展が開催された。この展示会は、タトゥーを通じて人類史を一望という野心的な試みで人気を得て、その後、全米、カナダ、ロシア、台湾など、世界各国を巡回している。
一方、筆者がタトゥーアーティストの大島托と推進する縄文時代のタトゥー復興プロジェクト「縄文族 JOMON TRIBE」もドイツ・フランクフルトの美術大学HfGに招聘され、大講堂での展示やパフォーマンスを行い、地元新聞で大きく取り上げられた。
身体改造カルチャーは、世界同時進行で過去から未来までをつないでいる。
そんな時代の変化を感じて欲しい。