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8月27日(月) 東京初台の東京オペラシティで、「変態する音楽会」が開催された。
「変態する音楽会」は、指揮者と楽器奏者で構成される「オーケストラ」に新たな楽器奏者として「映像装置」を加えることで、オーケストラの編成を変態(トランスフォーム)する。
今年4月、「耳で聴かない音楽会」でタッグを組んだメディアアーティスト・落合陽一氏と日本フィルが再びタッグを組み、ビジュアルデザインはWOWが担当した。
前回の「耳で聴かない音楽会」では、音を振動や光に変換するデバイスを用いることで、聴覚以外の触覚や視覚に働きかける音楽体験を提供し、耳が聴こえない観客から「身体で感じる音楽体験ができた」という感想があった。
今回、映像装置を取り入れることでどのような体験を演出するのだろうか?
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嵐の中の本番当日「常識が崩れる音」とは?
8月27日は、東京都内をゲリラ豪雨が襲った。渋谷駅は停電し、都内各地は大雨による浸水があった。
文字通り「足元の悪い」中、オペラシティには大勢の客が押し寄せていた。20代、30代が多く、普段オーケストラにあまり足を運ばない層も多いように見受けられた。
舞台上でひときわ目を引くのが、縦長のスクリーン。映画館のように横長ではない。いったいどんな映像が投影されるのか、注目を集めた。
今回演奏した楽曲は以下の通り
・スラブ舞曲第1番
・ハンガリー舞曲第1番
・ビゼーによる舞踏組曲
・ボレロ
注目を集めたスクリーンに映像が投影されたのは、1曲目の途中。水疱のような、プリズムのような抽象的な映像。
楽器としての映像装置がようやく現れ始めた。まず、映画館のスクリーンのように舞台全体を覆うわけではないので、オーケストラを霞ませることなく、その一部に融合されていた。
そして、見ていると、映像の一部が明滅したり、大きく跳ねるように動いていたりする。
実は、映像は音楽に合わせてあらかじめプログラミングされたものではなく、指揮者・海老原光氏の動きをセンシングし、リアルタイムで映像を生成しているという。
収録コンテンツではなく、生演奏を見る醍醐味は、常にその場で作られるダイナミズム。それをリアルタイムで表現することが、映像装置を楽器にする上での一番の課題だった。
その課題を解決したのは、テクノロジーの進化。高度なコンピューター処理が映像装置としての楽器を実現した。
落合陽一は今回のプロジェクトに取り組むに当たり「モーツァルトがこの時代に生まれたらおそらく映像を楽譜に落とし込んだと思う」と語ってきた。そのことは、これまで不可能だったことを可能にする、テクノロジーの進化があってこその演出であったことを物語っている。
観客の感想は「映像でこんなに音楽のイメージが広がるとは思っていなかった」「ふだん聞くよりも心に入ってきた」とこれまでにない音楽体験に驚をあらわにしていた。
また、楽曲の名前を知らない子供に話を聞くと「炎が燃え上がっていた曲が一番好きだった」など見た印象で楽曲について語ることができた。その意味で事前の知識がなくとも楽しむことができるオーケストラの体験だったと言えるだろう。
オーケストラと一緒に映像を作るのは必要なこと
熱気が冷めやらぬ会場で、メディアアーティスト 落合陽一氏、指揮者 海老原光氏、WOWのディレクター近藤 樹氏 のトークが行われ、それぞれが興奮冷めやらぬまま、思いを述べた。
近藤:プロジェクトを始めた当初は、オーケストラの一員として映像装置が入ってくるっていう実感が湧かなかったのですが、ようやく今日こうやって終えてやっと一員になれたんじゃないかなと思っています。
海老原:ここまでやって初めてクラシックの魅力が伝わるんだなと思いました。
今回のような取り組みを続けて、「今日は聞きに行くのはライブハウスかフェスかクラシック」と選択肢に並んでくれたらいいなと思います。
落合:ダンスとかオペラとかバレエとかオーケストラと一緒にやるのはありますが、音楽楽器としての映像はまだないので、映像楽器みたいなものがあれば耳だけじゃない楽器っていうのがあるよね、と思いました。
最初は小規模に管弦楽スタイルとデバイスで表現していましたが、それが映像になるとみんなが乗れる。「変態する音楽会」のようにオーケストラと一緒に映像を作っていくことは 、今は極めて限られたことしかできませんが、必要なことだと思うんです。
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「オーケストラの常識を覆す音色」、それは多くの観客にとって従来の音楽体験とも映像体験とも異なる音であり、感覚だった。
複数の感覚から一度に感じ取ると、単体では感じる体験とはまた違う感覚が得られる。もしかしたらそれは、テクノロジーが生み出す新たな感覚「第六感」なのかもしれない。