地図を見ていると、知らずのうちに目で追ってしまうことがある、都道府県や市町村の境界線。たどっているうちに、なぜここに設定されたのか、不自然な出入りの理由は何かなど、興味が湧いてくる人も多いのでは。
県境の中でも特に珍しいのが、三つの県が一ヶ所で接した、その名も「三県境」。全国で40ヶ所以上存在するが、ほとんどが山頂や尾根や河川上に位置するため、実際にその場所へ立つことはなかなか難しい。
そんな中、歩いて手軽に訪れられる三県境が、なんと首都圏に存在する。浅草から東武線で1時間ほどの、埼玉県加須市にある柳生駅が最寄り。道中には案内板や「三県境通り」と称する道もあるなど、地元では観光資源としてPRしているようだ。
たった3歩で三県をひとめぐり
田園の中を10分ほど歩いた先、渡良瀬遊水地方面の堤防が迫る脇に広がる、田畑のど真ん中に三県境は位置している。栃木県栃木市・群馬県板倉町・埼玉県加須市の接点で、三県がぴったり接したピンポイントなのだ。
この県境も古くは、渡良瀬川と谷田川が合流した付近にあたる川の中だった。当時、このあたりの渡良瀬川は「海老瀬の七曲がり」と呼ばれ、急な蛇行により水害が多発。そのため1910年(明治43年)から改修工事が施され、渡良瀬川と谷田川の流路はここから東へと移された。
さらに渡良瀬遊水地の造成により発生した土砂で、付近は埋め立てられ田畑へと整備。これにより付近の県境が地上に現れたため、測量を行って県境を示す杭を設置、ここが三県境と特定された。
県境杭のまわりには園地が整えられ、かつての渡良瀬川と谷田川がU字溝で復元。水路を跨いで3歩で三県を周遊するのがお約束で、記念スタンプや寄せ書きノートも配されるなど、現在では地理好きにとっての「聖地」になっている。
悲劇の歴史もとどめる遊水地
三県境から、流路を変更された現在の谷田川に沿った堤防へ上がると、渡良瀬遊水地の眺望が広がる。貯水池を中心に範囲は栃木・茨城・群馬・埼玉の4県に及び、面積3300haは遊水地としては国内最大である。
遊水地が設けられた理由は、明治期の足尾銅山による鉱毒問題に起因する。銅山から流出する鉱毒が、渡良瀬川の氾濫により拡散しないよう、洪水と鉱害を防止するために、渡良瀬川の最下流部にあたるこの地に設けられた。現在は穏やかな姿を見せており、周囲には緑地公園が整備されるなど市民の憩いの場となっている。
ちなみに貯水池の名称「谷中湖」は、この場所にかつてあった谷中村に由来する。遊水地を整備するために廃村になった歴史が。湖の北寄りには村役場や神社の跡を中心とした、史跡を保全したゾーンが残され、かつての村の歴史を伝えている。
道の駅で三県の味覚を味わう
渡良瀬遊水地から谷田川の堤防上の道を、川沿いに北上。このあたりも三県の県境が錯綜していて、道の上のペイントによる県名表示が、進むごとに目まぐるしく変わるのが面白い。
道の駅かぞわたらせは、三県境最寄りの道の駅。敷地内から三県境までは案内板が整備され、渡良瀬遊水地を見渡せるテラス、三県境訪問記念の撮影コーナーも設けられている。
物販施設や食事処にも、群馬・栃木・埼玉それぞれの特産品や味覚が勢揃い。手軽に三県を制覇し、各県のうまいものも味わう。そんなコンパクトな三県周遊旅行が楽しめるのも、歩いて行ける三県境ならではの魅力だろう。